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東京地方裁判所 昭和35年(ワ)3233号 判決 1964年3月31日

理由

原、被告の営業目的が原告主張の如きものであること、被告及訴外江戸自慢本舗株式会社が併存していたこと、同会社が本件取引後破産宣告を受けたことは当事者間に争がないところである。ところで(証拠)を綜合すれば原告は中央区日本橋芳町一丁目五番地の五及中央区日本橋人形町六番地にある二店舗の「八百浅商店」又は「八百浅」の商号による電話又は使用人の来店しての注文に応じ右各店舗に昭和二十八年頃より其商品を納品して来たところ昭和三十年八月十九日より同年九月八日迄の間の醤油の売掛代金額一四三、八五〇円又同年八月三日より同年九月十二日迄の間の味の素売掛代金一、〇八六、〇三二円計一、二二九、八八二円に達したことが認められる。原告は右商品の買主は右二店舗の共同経営者たる被告及破産会社である旨主張し、被告は破産会社が其買主である旨主張するので按ずるに前記各証拠によれば原告は破産会社が昭和三十年九月中旬頃債務超過による整理の為の債権者集会が開催される迄右二会社が存在することを知らず、右二店舗は同一の経営者により経営されているものと信じて取引を継続して来たもので、関係帳簿も別口に作成していないことが認められるところ、原告は本件の場合は被告は破産会社と共同して右取引の相手方である旨主張し其根拠として其基礎たる取引の実態二会社の共同経営の態様乃至実体に付論及しているので此点に付調べて見ると前記証拠によれば、

(一)前記芳町の店は被告及破産会社の双方の本店の所在場所で両会社は右建物を本店として主に倉庫加工場に共同に利用し人形町の店は被告の支店の所在場所破産会社の店として主として小売を行つた、(二)営業用の電話として芳町の店には当時(67)三二四四番三二四五番が人形町の店には(67)五八三〇番が架設され両会社は夫々本店支店及売店の営業用に使用し又三輪車単車等の営業の為の使用も共同である、(三)右取引当時の取締役はいずれも柴川たつ(母)柴川寛(長男)柴川隆(次男)で共通であり代表者は破産会社は寛で被告は隆でありいずれも柴川家の同族会社であり其従業員も二会社に共通のものが多いことが窺はれ営業用の領収書の如きも共用のものを使用していた、(四)二会社とも其取引に付ては「八百浅」又は「八百浅商店」なる呼び名を用いたことを認められる右認定に反する証人玉一市五郎の証言被告代表者柴川隆の尋問の結果は信用し難く其他前記認定を覆するに足る証拠はない。右の如き事実関係の下では原告が其取引に当り右二会社の存在を知らず前記二店舗の経営は一営業者によりなされるものであると信じたのは誠に無理からぬことであり被告としては原告との取引に当り二者の混乱を生ずるを避ける為原告をして右二会社を区別して取引をなさしむべきようの処置を取るべきが当然にあるに拘らず之をなさず慢然として自己の商号の使用せしめたものであるから仮に右取引が原告と破産会社間に行なわれたものであつたとしても被告の商号たる八百浅商店又は八百浅の使用を黙認した被告としては被告を営業主なりと誤認して取引をなしたる原告に対し其取引に因り生じた債務に付連帯して之が弁済の責に任すべきものと云はざるを得ない。被告は仮に被告の行為が名板貸に当るとしても原告に重大な過失があるから被告に責任はない旨主張するけれども前記認定事実からすれば未だ原告が被告を右取引の相手方であると誤認したことに付被告に過失こそあれ原告に重大な過失があつたものとは認め難いから右主張は採用することはできない。

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